とるに足らない。

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リバイスの話

ここ1年ほどリバイスの絵ばっかり描き、

バイスの話ばっかりする人間をやっています、おうせです。

10月に行われたファイナルステージの東京公演は6公演全て観に行き、

最終日は通しでアーカイブも買って視聴しました。

 

どう見てもリバイスが大好きな人ですよね?

でも実はリバイスが好きと簡単に発言することには抵抗があるのです。

周りに嫌いな人がいるから遠慮して…とか、

もっと好きな人がいるのをみて気が引けて…とか、

好きと認めたくない…!とか、

そういうことではなく。

 

バイスのファンだしリバイスのオタク。

これはもう事実だしめちゃくちゃ大声で言えます。

だけど、「リバイスが好き」かと言われると途端に困ってしまうのです。

自分でも原因が分からない感覚で、何でだろう…とずっと考えてきたのですが、

手がかりのようなものを少し掴めたのでブログに書いてみます。

 

 リバイス大好き!と簡単に言えない理由の話

 

1爽快感はあまりない

 

①20話ぐらいまでは一つの曇りもなく全てが好きだった

これは本当に間違いなくそうでした。

バイスを観るきっかけになった大二とカゲロウの決着もアツかったし、

一輝とバイスのバディの成長がすごくかっこよかった。

旧デッドマンズの崩壊も門田ヒロミのドライバー騒動もどう展開するか分からないドキドキがありましたね。

あとこれは杞憂でしたが、さくらは友人周りでひと騒動あるかも、と不穏に感じていたっけ。

このアツさ、かっこよさと不穏な要素のバランスに上手いこと惹きつけられていたんですよね。

どうなるんだろう…!!と楽しみにしすぎて睡眠不足になってたぐらいです。相当ですね。

(まあ、今は今でオルテカのこと考えすぎて毎日睡眠不足なんですが…)

 

で、それに水をさされたように感じたのが、

門田ヒロミが死ぬ死なないで何週も引っ張り始めた(そう見えた)時でした。

正直、登場人物の死だとか退場だとかって身構えると結構疲れるじゃないですか。

ついに21話で崖から落ちて「あぁ、まあそうだろうと思ったけど…こんだけ引っ張って、結局生きてんのね」と思った時点でだいぶ疲れてしまっていました。

そのへんから他人にリバイスを勧めなくなったかな。

「キャラクターの人気に引っ張られてストーリーを歪められている」ように見え始めていたので…

ここで一度「好き」が大きく揺らぎました。

気持ちよくない部分が感じられ始めたからですね。

 

②「volcano」の歌詞と28話の五十嵐一

に限らずなんですが、リバイスって登場人物の発言が軸にならないようで。

「volcano」だと五十嵐一輝は「誰かの傷跡さえも見過ごせない」と言っているのですが、

それはただ「五十嵐一輝は誰かの傷跡さえも見過ごせないと歌う人である」というだけで、

五十嵐一輝が[誰か]の傷跡を見過ごさないキャラクター設定である」わけではないのです。

だから、本人が見えていない傷跡(一輝が当たり前に受けてきた愛を全く知らずに育ち、歪んでしまった初芝真)には気づいたりしないわけです。

同じようなことでいうと、五十嵐大二が一輝の「人の心が分からない」部分に振り回されるという流れで既に「五十嵐大二も「自分を含め人を傷付けたくない優しい性格」と言っても大概人の心など分かっていない」ことは薄々分かっていたし、そこがかなり好きだったのですが。

一輝が成長して進んできた、という流れに反するような描写であるためこの時は流してしまっていたのだと思います。

この後オルテカにどハマりしてリバイスの世界の闇側=五十嵐一輝の死角になっている「救えない人々」そのものに感情移入し始めた結果、この時流したモヤモヤによってリバイス世界を内側の視点で見たら、嫌いだなあ…!!になっていたわけですね。

(ここの感覚はかなり複雑なので伝わらないかも。でも潜在的にそういう思いがあってリバイスを受け入れられていない人、いるんじゃないのかなあ。)

 

③ファンの反応があわない

これはもう、感性の違いなので誰も悪くなく、逆にそれでどうして私はリバイスのファンやってきてるんだろう?と不思議に思ったぐらいですが…

大好き!と胸を張って言えていた頃から、どうも他の方の感想が肌にあわないことが多かったのです。

バイスの「家族観」や「善とされるもの」って言い方は悪いですが、かなり歪んでいると思っているので、最初からそれがしっくりきている人とは意見が合わないわけです。それが悪いわけじゃないですが、やっぱり居づらくはなりますね。

ええ…本気で言ってる…?ってなもんです。よくリバイスのファンやってますね。

逆にリバイス見ているけどなんかこういうとこ嫌だよね、あれはないと思ったなぁ、みたいなちゃんと視聴した上で出てきた批判話は「あぁ〜マジでわかる、めっちゃそれな!」と思いながら読むことが多いです。

だから自分のことを「リバイスが好き!」な人ではないと思っているわけですね。

 

もちろん作品を作り上げた全ての方に多大なる感謝の念はあるし、仮にスタッフさんが目の前に来て自分の役職を教えてくれたら、その場で伝えたいこともたくさんあります。

あのシーンのどこどこのあれがとても好きで…と長く伝えられるでしょう。

演出の何が好きとか、音楽のかかるタイミングが好きとか、この話のメイクが好きとか、「好き」な部分めちゃくちゃあります。

 

ただ、あまりに人々が生きていすぎて気持ち悪いというか。

①だって、門田ヒロミが必死に戦った結果、

オルテカが門田ヒロミの生き死にに対して固執しなかった結果、

ジョージ狩崎が門田ヒロミの生き様に心を動かされた結果、そうなった(そうなってしまった)わけじゃないですか。

キャラクターがショーのために動かされているのではなく、

キャラクターが生きるが故にショーが動いていく。

そう見せている(生き生きとしたキャラクター)というより、実際にそうである(グロテスクなまでに人間)というか。

11/5に行われた門田ヒロミナイトでも言及がありましたが、脚本家の木下半太さんが舞台畑の人で役者に当て書きをするという話は非常にしっくりくるものでした。

ここまで舞台チックなテレビドラマを体験したことがなく、どう見たらいいのか分からない人が私だけでなくたくさんいたのではないか?と素人的には思います。

 

これね、結局…私がハマった「リバイス」って「うわ…なんで…?」って部分があってこそだからなんですよ。いいところだけ見ている感想が合わないっていうのは。

こんな拙い言葉で伝わるかどうか分かりませんが、

「好きじゃない…」部分があるから好きなんです。

展開的にもたついて爽快じゃなかったり、覚悟をもって消滅・綺麗に散ったキャラが唐突に帰ってきたり、正直推しだろうが全然嬉しくなかったですよ。

でも逆にそれは全部「必死だった結果」だから。

 

例え話で言うなら、私は野球をよく見るわけですが、必死に戦っているから試合が長引いたり、大事なチャンスで点が入らなかったりするじゃないですか。

それ自体はモヤモヤするけど、そういうものの積み重ねになるからこそ面白いんですよね。

 

2 悪魔の話

 

これも結構期待してガッカリした人がかなりいる気がします。

バイスのテーマの一つである「悪魔」についての設定が曖昧で分かりにくく、筋が通っていないように感じるということですね。

本当にそうなのか?を一度考えてみましょう。

 

五十嵐一輝と悪魔バイス

 

まず作品内時間軸。

18年前に自らを捨てた五十嵐元太への報復としてベイルの襲撃があり、

家族を守るために五十嵐一輝がバイスと契約を結び、その記憶を失った。

その後一輝には「悪魔の囁き」が聞こえるようになったが、1話前までは姿を確認できなかった。

 

自由になりたがり、人間を美味そうと言って襲いかかる。一輝が愛しているはずの家族を食べようとする。

⇅話が進むにつれ

一輝が大好きで、一輝のためなら自分が消えることも厭わない。

これは一輝の変化ですよね。家族を襲うということは自分を否定することだったんじゃないかな?

家族全員、の中に自分が含まれるようになった…のは、つまりバイスのおかげなんだろうね。

 

作品内外で色々言及があったとは思いますが、「悪魔は宿主の一部である」という点だけは真実な気がします。

五十嵐一輝は18年前、自分が家族を守るという強い気持ちが故に「バイスタンプの助けなしでバイスを実体化させ、(あるいは自分の体に憑依させ?)ベイルを打ち破って家族を助けた」

それは恐らくギフの末裔(ギフの細胞を体内に持つ)だからできたことなのでしょう。

そしてその契約は一輝が家族の記憶を全てなくし、バイスを忘れることでリセットされる。

 

多分悪魔の契約として異質なのが、「記憶をなくすことがバイスの利益にならない」という部分。

悪魔は自分の利益になることを契約として持ち掛けるという先入観が少なからずあるでしょうから、ここは違和感をもって当然な気がします。

「記憶を全て奪えたら一輝の身体がバイスのものになる」

ということならみんな納得いったんじゃないかな?

なんかそういういやーなことが起こりそうな不穏な感じも出してましたしね。

「いや、何にもないんかい!」とはなりますよね。

 

記憶が消えると写真から消えるとかいう超常現象もまあよく分からないしね。バイス的にも「自分が一輝に手を貸すと記憶(家族の思い出)を失い、その象徴である写真からも一輝の姿が消える」ということは後から把握している。

 

幼い一輝とバイスが交わした契約は契約書を通じたものではない=明確に何かを取引したということではなく、「家族を守れる」「記憶がなくなる」というメリットとデメリットだけが用意された限定解除型の覚醒だったのかなー。と今は解釈していますが。

 

意味ありげな描写がミスリードに終わる(視聴者のストレスになる)という体験をさせすぎたんじゃないのかな…?って感じはしますね。

スパイスもかけすぎはね。

 

②五十嵐大二と悪魔カゲロウ

 

こちらはしっかり「身体を乗っ取る」タイプ。

幼い頃からいたとは言っていますが、別に兄へのコンプレックスと同時に生まれたのではないんじゃないか?

大二結構思い込みが激しいので真面目にいい加減なこと言いますから、カゲロウも割といい加減なこと言ってる可能性はある。

というか、悪魔だからって全てを知っているわけじゃないのはバイスが最初から契約内容を正確に把握してなかったことからも分かります。

カゲロウは自信家で大雑把なので、自分がそう思ったらそれでいい、ぐらいの発言なんじゃないかな?全体的に。いつも分かったような顔をしているのが可愛いなと思いますね。

 

五十嵐大二は優しさと非情さという両極端な性格を併せ持つ人間であり、非情さの部分をカゲロウに肩代わりさせてたんじゃないのかな。

自分は優しい人間だ、母親からもそれを望まれている。兄のことは大好きで、妹のことは守らなきゃいけない。

それを「五十嵐大二」だと思い込むためには、期待に応える必要なんてない、自分は自分であるだけで存在価値があって、兄貴が嫌なら殺しちゃえばよくて、好きなものを好きなだけ食べて…自由に、非情に生きるのは「カゲロウ」という別人格(悪魔)にやらせる必要があったんじゃないかな?

ギフの末裔である彼らには「悪魔」と呼ばれる超常的な存在が元々自我を持って存在するが、それがどのような存在になるかは個人次第で、契約も「何かを失い何かを得る」(大二の場合は身体を代償にして精神の安定を得てるのかな?)ということしか決まってないのかも。

五十嵐大二急に設定っぽいこと話し出すから設定だと信じてしまうことが多いけど、実は思い込みを堂々と喋ってるだけな気がするんだよな…😂

これはまあジョージ狩崎もそうかも。ただしこっちは「より正しい」ことを言ってそうな雰囲気があります。

「一輝とバイス」「大二とカゲロウ」を比較すると一輝とバイスの方が一心同体感がある…

って話、結構Twitterで呟きながら見てる人たちが「え?」ってなってた記憶があるんですが、

上記の考えからいうとそうですよね。

一輝とバイスは結構似た性格をしてて、お互いのために自分を犠牲にできる(おせっかい)人間と悪魔、なんですが…

大二とカゲロウは二つに分かれた自己って感じなので。

 

③五十嵐さくらと悪魔ラブコフ

 

これがまたわかりにくくしていると思う!🤣

弱さの自覚をキッカケにして現れた存在。バイスの嗅覚がどれだけあてになるのかは分からないけど、もしかしたらさくらの中にはギフの細胞という抜群の適性だけが長年存在していて、それが自我を得るほどのことが起りえず、あのタイミングまで悪魔が存在しなかったのかも?

「強くあることが当然」だったさくらは不安定で、でもそれを信じるしかなかった。けど、自分の中の弱さを認めれば、それに頼ることができれば、ちゃんと二本の足で立てる。

それがさくらとラブコフなんじゃないかな~と思います。

兄二人とはね!全然違いますよね。さくらが安定しているのは、満たされて生きてきたからだと思うので、家族の幸せを一番に考えて犠牲を払ってきた一輝や、そんな一輝にコンプレックスを抱いてきた大二と悪魔を生み出す過程も性質も違うのは当たり前じゃないかな~。

 

と、こんな風に五十嵐3兄妹だけみてもかなり違っている。たしかに分かりにくいしスッキリはしないかもしれないけど、すごく面白くないですか?

やっぱり、リバイスってカロリーがめちゃくちゃ高いよね🤣?

 

3牛島家

これはね、牛島さんだけではないんですが…

とにかくたくさん登場人物がいて仮面ライダーがいて、一人一人を十分な時間割いて見せることはできてないと思います…!!

でもそれ自体が悪いなんてことは全然なく、ストーリーの見せ方、戦い方がそうだったというだけかなって。もしそうならざるを得なかったのだとしても、それが最善の戦い方だったんじゃないのかな〜。

牛島家はずっと怪しい動きしてきて、五十嵐さくらをウィークエンドに勧誘して…

光くんはもったいなかったな…どうして映画とかにも出てこなかったんだろう。牛島光は明らかに掘り下げが足りないですもんね。すごくいいキャラだとは感じているんだけど、イマイチ背景が掴みきれないというか。さくらへの気持ちがでかいのが花ちゃんと被っちゃったしな。

さくらへの掘り下げも(ヒロミさんと比べたら…)相当足りないと思うので、ファン的にはここ二人はスピンオフもらえるといいな〜って思います。ガルリミは花の掘り下げだったし。

 

公子さんと光くんの関係性ももっと見たかったよ〜絶対尊い部分だよ~

バイスに必要だった家族概念ってそのへんじゃないの~!?血のつながりなんか大したことではないって…ほんとに。

まあそういうのを知らずうけ負ってたデッドマンズ、一番必要としてる人がブッ壊してしまったんだけど。

 

オルテカの過去描写はすごく的確で良かったと思うんだけど、如何せん視聴者の意識から消えがちなのがもったいない。

バイスの家庭は〜とか家族は〜とか親子は〜って賛美的に語られるとき、初芝家は忘れ去られがちなんですよね〜!

そしてこれは多分、五十嵐家や門田ヒロミを信じるがあまり、見つめるがあまり抜け落ちるんだろうなと思います。

いいんだけどね、その人がどうリバイスを楽しもうと。でもまあ、私はオルテカの下についてるから全然許せないけどね。宗教戦争みたいなもんだから。

オルテカの下についてるタイプの人のリバイス観たまに見るんですけど…結構同じルート辿っちゃってるのが面白いので、しあわせ湯陣営もフェニックス(ブルーバード)陣営も、可能なら一度自我を分裂させて(?)オルテカか新生デッドマンズ、或いは工藤や天彦…たちの視点にたったつもりで物語を見てみてください。地獄ですよ。

 

結局オルテカの話になってしまった。予想はしていましたが。

つまりまあ、登場人物一人一人を十分に知ることができなかった…というのがきっと物語を理解しにくくしたんじゃないかなということですね。

逆に、出てくるキャラひとりひとりが濃かったってことな気もするんですけどね!好きだし、そういうの。

 

というわけでつらつらとリバイスへの想いを綴ってまいりましたが、今回はこのあたりで締めようかなと思います。

大好きで、大嫌い。大嫌いだからこそ大好き。

そんな言葉が似合うのかなと思う今日この頃。

まだまだ折り合いをつけられるほど感情が整理できていない部分もありますが…

(まだ「#ナイスファミリバ」を受け入れられてない)

ラブユアセルフの話をすると10000字レポートになりかねないのでやめましょう。オルテカのオタクだけだろ、ラブユアセルフでめちゃくちゃ落ち込んでるの…

関くんの歌がきれいであればきれいであるほど辛い。オルテカ…お前…ってなってしまいます助けて。

 

この記事書き終わるまでに1ヶ月半くらいかかりました。感情の吐露だから合わない人もいっぱいいると思うけど、いいんです。これは各々の信じるものを、各々出していこうよということで書いているものなので。

バイスってそれができる作品だったよね、ってことなので。

ナイスリバイス!グラシアス、愛しています。